やりたいことではなく自分の適正か?

職業を探すときには条件を付けてどんどん絞っていき、その結果が自分の就職先になる。(受かればの話だが...)

そういう時に条件としてあるのは何だろう。給料、休日日数、有給取得率、保険。挙げれば人によってはもっとでてくるだろう。

しかしその仕事に就いたときに一番幸福を感じることができるのは自由だと聞く。自由というのはある程度自分にまかされることだ。もちろんそれには責任も伴う。

しかしそれでも人は自由があるほうが幸福らしい。それにはやりがいとか達成感というものがついてくるからかもしれない。やりがいや達成感というのは小さいころから感じられるし、まだ働いていないという人も想像はできるだろう。部活や勉強で想像してもらえればいい。

どこで見たかは忘れたが、こんな書き込みを見たことがある。

「やりたいこととかじゃなくて、自分の適正にあった仕事をやるんだ」

本当の文章はもっと棘があったため、意訳とさせてもらう。

この言葉は正しいのだろうか。この言葉は僕とは全く違う意見だ。僕はやりたいことをやることが働くうえで正しいと考えている。真逆の意見。だからこそ考えていた。「この人とは価値観が違う」という一言でも片づけられるが、それだとあまりにも味気がない。自分の価値観が違う人間の意見も聞いて、少しでも理解したいと考えている。

少しお金の話をしたいと思う。世の中は資本主義だ。お金の価値というのはかなり重い。そのお金を労働の対価といてもらっている。アルバイトで考えるとわかりやすいが、一時間の労働を雇っている企業が買っている。時給1000円だと1000円でその人の1時間を買っている。

マルクスの「資本論」という本がある。マルクスというと社会主義の人と覚えている人もいるかもしれない。その資本論は今の資本主義の恐ろしさを知るには最高の本だ。興味がある人は読んでみてほしい。

 

企業は労働力を買っている。つまりそこにはやりがいなんてどうでもいい。労働力を買うための宣伝みたいなものだ。

労働者側はどうだろう。求めるのは賃金だ。賃金があるからこそ幸福を買うことができる。ただ単に賃金を求めるだけならやりがいなんてどうでもいい。

ではどうしてやりがいなんて言葉がもてはやされるのか。それは効率の問題だと思う。人は何かやるときに興味の有無で、やりがいの有無で仕事効率が変わってくる。それは人間が感情を持つ動物だからだろう。この感情によって支配されているから、やりがいなんて言葉に踊らされる。

仕事はやらなくていいのならやらない人は多いだろう。仕事はやりたくないのにやらないといけない。だから賃金が発生する。

ボランティアは賃金が発生しないが、それにはその人たちがやりたいという意思があるからだ。意思がある人間に賃金を出してもいいが、出さなくてもいいのなら出さない。お金の価値は重いからだ。

 

ここまで長々とお金と労働について書いてきた。ここで結論を言おう。

「やりたいことをやれ」

どこまで言葉を尽くそうと、この一言には勝てない。この言葉には人を引き付ける力がある。だからどんな論理を語ろうと無駄なのだ。

人は感情で動く生き物だから。

最後に仕事探しをしている人にお勧めの本を載せておく。